ABOUT

深河について

ゆっくり読むということ

私たちは、「速く読む」ことを奨励される時代に生きています。要約、手軽なまとめ、三分で一冊を読み終える本——まるで、読むことの目的が、できるだけ早く終着点へたどり着くことにあるかのようです。

けれども、深河は、もうひとつの読書のあり方を信じています。

ゆっくり読むとは、ただ読む速度を落とすことではありません。それは、立ち止まることを厭わないということです。ひとつの文章に目を留め、何度も読み返し、その言葉を心のなかに、もう少し長くとどめておくこと。すぐれた本は、ゆっくり読んだからといって、何かを失うわけではありません。むしろ、そこに長くとどまるほど、本はより多くのものを手渡してくれるのです。

それは、川を眺めることにも似ています。急いで橋を渡り、そのまま通り過ぎることもできる。あるいは、川辺に腰を下ろし、一日じゅう流れを眺めていることもできる。川は、同じ川であり続けます。けれども、そこに見えてくるものは、まったく違ってくるのです。

ゆっくり読むことは、この速やかに過ぎていく時代のただなかで、私たちが自分自身のために残しておく、ほんの小さな余白です。

深河出版について

名づけについて

深河とは、川のような存在です。

「深」は、深遠さと広がりを。「河」は、さまざまなものが集い、交わり、流れていくことを意味します。深河とは、あらゆるものを内に溶け合わせ、包み込み、ひとつの流れへと導いていく状態です。

「深河」と名づけられたこの出版の場は、喧騒と複雑さに満ちた世界のただなかで、遥かなる精神の流れにつながろうとしています。カン・リンポチェ(カイラス山)に降り積もった雪が水となり、遠い大地を越えてインドへ流れ、ガンジスへと連なるように。その流れのなかで、政治、歴史、人間の感情に宿る、深く繊細なエネルギーを受け止め、未来へと手渡していきます。

雪山の源から一筋の雪解け水が川となって流れていく水墨のイメージ
水の流れが集い、交わり、互いを抱き合う水墨のイメージ

能動ということ

深河の視野において、書くこと、出版すること、読むことは、等しく価値を担っています。それらは共に現実を動かし、現実を創り出す営みであり、そこにおいて現実の次元は開かれたものとなります。現実とは、目に見える実物であると同時に、読むことによって立ち現れる一瞬の輝きでもあります。それは立体的であり、また流動的です。ひとつでありながら、多なるものと共存する。大きなもののうちに小さなものがあり、小さなもののうちに大きなものがある。

作者、出版する者、読者、そして創造の過程に関わるひとりひとりが、その流れのなかに抱かれ、そこから新たな力が立ち上がっていきます。そのような流れが時の流れと溶けあうことで、エネルギーの交替が生まれます。

深みと湧き動く力のあいだに息づく、自然で静謐な、途切れることのない力。それこそが、深河なのです。

創造ということ

深河は、文学、芸術、思想、宗教に関心を寄せ、現実を創造することに宿る精神性を重んじています。「創造」とは、ひとつの力です。現実を縛る緊張、不安、トラウマ、無力感を、より深く静謐な、光と闇が共存する流れのなかへと溶かしこんでいく力です。だからこそ、「創造」の過程において、既存の道筋から抜け出し、新たに生まれ変わる道が姿を現す可能性があります。深河が見つめているのは、郷愁や幻想のなかをさまようことではありません。そうではなく、自らのうちにある限界を直視し、それを溶かし、変容させていくことです。

深い水に光が差し込み、墨が溶けて姿を変えていくイメージ
波紋の立つ水をたたえた染付の碗と、その傍らに開かれた本

文と物

出版とは、まさにこのような実践です。

この視野に立ち、深河出版は文字だけにとどまらず、映像、音、パフォーマンスへと広がり、文字がもたらす静的な読書体験のその先に、より活発で動的なエネルギーを探ろうとしています。

そのなかで深河出版は、とりわけ文字のうちに「物」を生み出すことに力を注いでいます。つまり、精神世界と物質世界を結び、精神性を帯びた言葉を物質化して現実の存在へと変えていく一方で、物質世界にも美学的・文学的な意味を与えようとしています。このような精神と物質の双方向の運動のなかで、新たな「物」が生まれることもあれば、すでにある「物」が新たな能動性を獲得することもあります。深河の世界において、「物」は死んだものではありません。それらは海の波のように、生まれては消えていくあいだにも、それぞれの呼吸をしています。

アジア

「アジア」の誕生は、20世紀以降、中国・日本・アメリカの三つの力がせめぎ合い、交錯してきた結果です。そのなかで台湾は、さまざまな力を受け止め、引き継ぐことで、多様な要素からなる幻影、胎児、感情、そして中有(バルド)を形づくってきました。島の内外では政治的なせめぎ合いが絶え間なく続く一方、島内の生態は、激しい揺らぎのなかでも安定を保ってきました。このような独特な歴史と現実の状況から、もはや力を浪費し、空転するのではなく、歴史の力を取り込み、凝縮し、そこから現実を変容させていく力を生み出すことはできないでしょうか。

21世紀に入って以来、アジアの歴史はますます不可思議で複雑なものとなっています。次々と現れる新たな現実は、それぞれ固有の歴史的文脈を持ちながらも、既存の言説や枠組みだけでは捉えきれません。避けることも、振り返って身をかわすこともできない、このような空間のなかで、台湾にはこうした脈動を捉え、自らと他者という二項対立の罠に陥ることなく向き合う、大きな可能性があります。

だからこそ、深河出版は、さまざまな力のせめぎ合いによって台湾に強いられてきた硬直をほぐし、「創造」とともに、思想と感情が流動する可能性を開こうとしています。この島の「複眼」と聴覚を養い、現実への認識を深めることに努めています。そして、文学性、思想性、映像性、宗教性など、さまざまなエネルギーと物質をひとつの呼吸へと変え、創造と自由の現れとしていくことを目指しています。

深河の視野において、このような動的で、緊張としなやかな強さを備えたプロセスこそが、「アジア」の形成です。そのような「アジア」は、現実の政治から離れることなく、同時に創造の可能性をも備えています。

「アジア」は静止した物体ではありません。

それは、何度でも異なるかたちで現れ得るものです。

河口が幾筋もの水路に分かれ、霧の島々を抜けていく俯瞰のイメージ